感じることと、考えることと、幸せについて。
2013-01-31雑文
私は、感じることは絶対的なものであり、考えることは相対的なものだと思っています。考え方というのは、人づきあいや環境によって、また、新たな知見や能力の取得によって、もしくは、年齢が上がるにつれて、如何様にも変わることだと思っています。
人は失敗したり間違えたりするもので、これは誤った考え方をしてしまったから結果としてそうなったのだと思うのですが、考え方はいくらでも変わるので、「前と言ってることが違う」と責めるのは、ちょっと違うかな、なんて思っています。とはいえ、毎日毎日言うことが違うのも困るもので、そういう人を信頼するかどうかは、また、その人に接する人が考えることなのでしょうけれど…。
それとは別に、感じ方というのは絶対的なものだと思っています。人がなんと言おうと、自分が美しいと思ったものは美しいのだし、多くの人が良いと言っていても、自分が嫌だと思ったものは、やっぱり嫌なものです。感じることは、否定できないものなので、感じ方を人に強要するのは間違っていると思っています。
そう考えていると「幸せ」というのは、感じるものなのか、考えるものなのか…。たぶん、別に年収がどうとか、ポジションがどうとか関係なく、その人が幸せだと感じられれば、それで良いのだと思うのですが、ついつい、具体的な数字を出して人と比べてしまって、自分が幸せなのかどうか考えてしまうところがあって、悲観的になってしまう…。
私は人間が小さいので、どうしても他人と比較してしまう癖があるのですが、幸せというものを感じられるように、生きていければなーって思いました。
ということで、雑文でした…、申し訳ありません。